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もう過ちを繰り返さないために原爆の悲惨な体験を後世に語り継ぐ必要がある、ということで頑張っている人たちがいる。
地震を体験した人がブログで体験を残すのもそういったことと同じく意義のあることだと思った。
体験してない人が心構えできたり体験後にどう行動していいか調べる時にも役に立つのかも知れない。
まあ私は直接の被害は特になかったので役に立つことは書けないけどとりあえず当時のことを思い出してみる。
その当時の私はサラリーマン。工場で生産管理の仕事してた。古い言葉だけどモーレツ社員だった。
会社の目の前に引越して、風呂と寝る以外はずっと仕事。
会社の休業日も普段できない仕事がみっちりできる♪とうきうきしながら休日出勤。月の労働時間は楽勝で500時間超えてた。仕事しか頭にない、そんな時代。
15年前の今日、1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒。
大阪のミナミの自宅でぐっすり寝てた。
けどなぜか目覚めてその直後にものすごい揺れがきた。
揺れてる最中の数秒は何が起こってるか理解できず、何事? と部屋の中をキョロキョロ見回すのみ。でも地震だと理解できない。
止まったあとに本棚から落ちた本などを見て、地震が起こったのか?とようやく判断した。
そもそも体感した地震はその時が生まれて初めて。関西って地震がほんとに少なく、その時まではあっても震度1とか2とかばっかりで、鈍感な私は揺れを体感したことがなかった。地震なんて他人事だった。
だから衝撃だった。今の揺れはただごとじゃないぞ、とすぐにテレビとパソコン通信で情報収集。
掲示板では兵庫のユーザーがパニックぎみに色々書いてた。家が倒れてどうこうと。
テレビでも地震で大きな被害が出ていることを伝えていた。
機材が、在庫が、書類が、、、と会社のことが心配になりすぐ会社に向かった。
それからの半日はとにかく忙しかった。
最初はかろうじて通じていた電話で従業員や取引先の安否確認などしまくった。
すぐに電話はほとんどつながらなくなり車であちこちまわって確認。
従業員とその家族がみんな無事と8時頃には確認できた。
よかった仕事には影響が少なそうだと安心した。
ただ、神戸の下請け会社にだけ連絡がつかなかった。午後になってそこの社長の娘さんが亡くなられ工場も半壊だと知った。
まず最初に思ったのはあそこに依頼してる仕事の納期いつだっけ。仕掛品回収しなきゃなど。
あの時の自分はかなりおかしかったな。
口にまでは出さなかったけど明らかに人間の命より仕事が優先だったし。
結局8割くらい仕事依存してた大取引先が中国工場作って仕事持ってかれてあれやこれやであっさり会社潰れちゃった。
阪神淡路大震災について思い出すと仕事に取り憑かれていた当時の自分のことも思い出していろんな意味で苦い記憶です。
会社の目の前に引越して、風呂と寝る以外はずっと仕事。
会社の休業日も普段できない仕事がみっちりできる♪とうきうきしながら休日出勤。月の労働時間は楽勝で500時間超えてた。仕事しか頭にない、そんな時代。
15年前の今日、1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒。
大阪のミナミの自宅でぐっすり寝てた。
けどなぜか目覚めてその直後にものすごい揺れがきた。
揺れてる最中の数秒は何が起こってるか理解できず、何事? と部屋の中をキョロキョロ見回すのみ。でも地震だと理解できない。
止まったあとに本棚から落ちた本などを見て、地震が起こったのか?とようやく判断した。
そもそも体感した地震はその時が生まれて初めて。関西って地震がほんとに少なく、その時まではあっても震度1とか2とかばっかりで、鈍感な私は揺れを体感したことがなかった。地震なんて他人事だった。
だから衝撃だった。今の揺れはただごとじゃないぞ、とすぐにテレビとパソコン通信で情報収集。
掲示板では兵庫のユーザーがパニックぎみに色々書いてた。家が倒れてどうこうと。
テレビでも地震で大きな被害が出ていることを伝えていた。
機材が、在庫が、書類が、、、と会社のことが心配になりすぐ会社に向かった。
それからの半日はとにかく忙しかった。
最初はかろうじて通じていた電話で従業員や取引先の安否確認などしまくった。
すぐに電話はほとんどつながらなくなり車であちこちまわって確認。
従業員とその家族がみんな無事と8時頃には確認できた。
よかった仕事には影響が少なそうだと安心した。
ただ、神戸の下請け会社にだけ連絡がつかなかった。午後になってそこの社長の娘さんが亡くなられ工場も半壊だと知った。
まず最初に思ったのはあそこに依頼してる仕事の納期いつだっけ。仕掛品回収しなきゃなど。
あの時の自分はかなりおかしかったな。
口にまでは出さなかったけど明らかに人間の命より仕事が優先だったし。
結局8割くらい仕事依存してた大取引先が中国工場作って仕事持ってかれてあれやこれやであっさり会社潰れちゃった。
阪神淡路大震災について思い出すと仕事に取り憑かれていた当時の自分のことも思い出していろんな意味で苦い記憶です。